文化活動は精神のレベルにかかわるだけに、しばしば「政治」と「文化」の争いは熾烈をきわめさえします。
このような問題を「文化行政」にあてはめてみるならば、もっとも重要な点は、行政の名において文化活動の意味を強要するならば必ず人びとの反発にあうということです。
従来、わが国では、文化の問題を、行政上は教育に包容されるものとして扱ってきました。
しかも教育行政は社会教育を含めてもっとも集権性が強く、上から外から押しつける傾向が少なくありませんでした。
自由で自発的なローカル・スペースコレクション文化活動は、まずなにより、自分が楽しく、その楽しみを他人と共有するところに創造性の根をもっています。
この意味で楽しみを創り出す行動は、もともと階統型のタテ関係にはなじまずヨコへの広がりを志向している。
行政組織のようにかなり固定的なタテ関係のなかでものごとを考え、行動する組織はヨコの人間関係の形成を忌避する体質をもっています。
しかも、日本では「ヨコ」はマイナス・イメージをもって用いられることが多い。
例えば横行、横車、横着などみな「けなし言葉」です。
これ自体タテ社会の文化(人びとの感じ方、見方)を表しています。
しかし横行はときにイデー(理念・志)で結ばれた連帯行動であり、横車はときに少数者の利益や権利の自己主張であり、横着はときに精神的休息です。
ローカル・スペースコレクション文化活動は、人びとが独自性を保ちつつヨコに結び合うところに、その特性があります。
したがって、行政の機能がこの活動に対する基盤整備とか財政援助とかいったいわば縁の下の力持ちに限定されることだけでは十分ではありません。