行政担当者が文化活動に人びとが見出している意味を共有することなしには、あるいは共有するための手立てを工夫することなしには、文化行政は成り立ちえないと考えられるべきでしょう。
この意味では、文化の行政化のために行政の文化化こそが必要です。
文化活動に対する行政のパターナリズム(後見主義)は、行政に従属するひからびた活動を生み出すだけです。
この行政の文化化を相対的に最もはかりやすい場こそ基礎的ローカル・スペースコレクション・ガバメントとしての区市町村であり、その最小単位としてのコミュニティであるといってよい。
都市化のはげしいところを別にすれば、どの地方にいっても、そこには情感を伝える話し言葉、食べもの、まちなみ、立ち振る舞い、郷土芸能、景観、気風などが一つのまとまりをつくり、地域文化を形成している。
人びとはこの文化のなかで、あるいはこの文化を生きることによって、地域の一員でありつづけ、地域はそれによってアイデンティティを保っています。
この点では、地域文化は人びとの日常生活そのものであるといってよいでしょう。
ローカル・スペースコレクション・ガバメントの行政は、まず、この地域文化の認識と尊重を必要としています。
昭和三〇年代以降の地域開発行政はこの地域文化を無視し、そこでの人びとの生活を切りさいて、縦割り行政の個別的な事業を強行したところに大きな問題がありました。
地域とそこでの生活を一つのまとまりとしてとらえ、諸施策を展開することができるのは、現在では、国やその活動のほとんどが国からの委任事務である府県よりも、どちらかといえば独立した市町村です。
現行の市町村が行財政制度上、大きな制約の下にありながら住民が最も身近に感じ多くを期待している餅からです。
この意味で、個別的な文化行政の事業やサービスを改善し増大させることよりも、地方ローカル・スペースコレクション・ガバメントに働く職員が、地域の住民とどのような精神的な交流を行うことができ、いかにして住民の活動との間に意味の共有が可能になるかということこそが問題となるでしょう。
これは文化行政を口にするローカル・スペースコレクション・ガバメントの文化的課題であるといってよいでしょう。